9月下旬に、父はとうとう帰らぬ人となった。
7月下旬に医師から
父はもう年は越せないだろうと宣告されていたが、
実際にそれが起ってみると途方にくれた。
ひとつの救いは、もう父はあの強い痛みに
耐えなくてもよいということだった。
痛みに苦しむ父の苦しそうな表情に
何もしてあげられないつらさがあった。
父が亡くなったのは丁度、お彼岸に入った日であった。
或る人は、お彼岸に亡くなる人は徳があるのだと云った。
その言葉に、少しは心が慰められるような気がした。
慶弔休暇が終り、一人暮らしのアパートに向かうため
私は車のハンドルを握っていた。
外ははとても美しく晴れわたっていた。
しかし、それに反して、私の心は曇っていた。
信号待ちで停車中に、ふいに何か赤いものが目に入った。
見ると、真っ赤な彼岸花が路傍のあちこちに咲いている。
彼岸花って、ほんとにお彼岸に咲くんだな、と考えながら、
鮮やかな赤い花を見ているうちに、
心の中で、或る変化が起こっていくのを感じた。
それは、心が静かに澄み渡っていくような感じだった。
父が亡くなってから、よく父は今頃どの辺りにいるんだろうと考えた。
仏教のことをよく知らない私は、
どのタイミングで三途の河を渡るのだろうと思ったりした。
親父ギャグの得意だった父のことだから、
きっと船頭にギャグを言ったに違いない。
そう思うと、可笑しくなった。
早いもので、明日は彼の満中陰である。
明日は、閻魔大王さまとご対面である。
うまく極楽に行けるように、閻魔様に交渉するんやで、お父ちゃん。
私も祈ってるから。
(終わり)
2007年11月4日日曜日
彼岸花(其の二)
その後、労働ビザの申請が間に合わなかったために
私はアメリカから帰国するに至った。
その約一週間後に、父の膀胱摘出の手術が行われた。
膀胱を全摘出し、小腸の一部を使って人工の膀胱を作るという
8時間もかかる大手術であった。
手術は成功に終わった。
糖尿の気があったため、傷口がふさがりにくく
思ったよりも術後の退院が遅れたが、
どこにも癌が転移していないとの医師の言葉にほっとした。
父は退院後に仕事にも復帰した。
「今までは本当に大変やったけど、
これからは良くなるばかりやから。」と、私は父に言った。
4月から、私は地元を離れて、現在の会社で働き始めた。
癌が転移していたとの連絡を受けたのは
働き出して、2週間ほど後のことだった。
私は、転移していなかったという医師の言葉を思い出し
悔しいような気持ちになった。
抗がん剤治療、放射線治療を受けたにも拘わらず
父の病状は少しずつ、目に見えて悪化していった。
私は無邪気にも7月までは、
父は良くなるのではないかと信じていた。
本人も自分は元気になって家に帰ると言っていた。
「お父ちゃん、秋になったら、一緒に韓国行こう!
私がご招待するから。」
「おお、それは悪いな。」
そう言いながら、楽しみにしている様子だった。
何回かアジアに行っている母と違い、
父は一度も海外に行ったことがなかったのである。
(続く)
私はアメリカから帰国するに至った。
その約一週間後に、父の膀胱摘出の手術が行われた。
膀胱を全摘出し、小腸の一部を使って人工の膀胱を作るという
8時間もかかる大手術であった。
手術は成功に終わった。
糖尿の気があったため、傷口がふさがりにくく
思ったよりも術後の退院が遅れたが、
どこにも癌が転移していないとの医師の言葉にほっとした。
父は退院後に仕事にも復帰した。
「今までは本当に大変やったけど、
これからは良くなるばかりやから。」と、私は父に言った。
4月から、私は地元を離れて、現在の会社で働き始めた。
癌が転移していたとの連絡を受けたのは
働き出して、2週間ほど後のことだった。
私は、転移していなかったという医師の言葉を思い出し
悔しいような気持ちになった。
抗がん剤治療、放射線治療を受けたにも拘わらず
父の病状は少しずつ、目に見えて悪化していった。
私は無邪気にも7月までは、
父は良くなるのではないかと信じていた。
本人も自分は元気になって家に帰ると言っていた。
「お父ちゃん、秋になったら、一緒に韓国行こう!
私がご招待するから。」
「おお、それは悪いな。」
そう言いながら、楽しみにしている様子だった。
何回かアジアに行っている母と違い、
父は一度も海外に行ったことがなかったのである。
(続く)
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