9月下旬に、父はとうとう帰らぬ人となった。
7月下旬に医師から
父はもう年は越せないだろうと宣告されていたが、
実際にそれが起ってみると途方にくれた。
ひとつの救いは、もう父はあの強い痛みに
耐えなくてもよいということだった。
痛みに苦しむ父の苦しそうな表情に
何もしてあげられないつらさがあった。
父が亡くなったのは丁度、お彼岸に入った日であった。
或る人は、お彼岸に亡くなる人は徳があるのだと云った。
その言葉に、少しは心が慰められるような気がした。
慶弔休暇が終り、一人暮らしのアパートに向かうため
私は車のハンドルを握っていた。
外ははとても美しく晴れわたっていた。
しかし、それに反して、私の心は曇っていた。
信号待ちで停車中に、ふいに何か赤いものが目に入った。
見ると、真っ赤な彼岸花が路傍のあちこちに咲いている。
彼岸花って、ほんとにお彼岸に咲くんだな、と考えながら、
鮮やかな赤い花を見ているうちに、
心の中で、或る変化が起こっていくのを感じた。
それは、心が静かに澄み渡っていくような感じだった。
父が亡くなってから、よく父は今頃どの辺りにいるんだろうと考えた。
仏教のことをよく知らない私は、
どのタイミングで三途の河を渡るのだろうと思ったりした。
親父ギャグの得意だった父のことだから、
きっと船頭にギャグを言ったに違いない。
そう思うと、可笑しくなった。
早いもので、明日は彼の満中陰である。
明日は、閻魔大王さまとご対面である。
うまく極楽に行けるように、閻魔様に交渉するんやで、お父ちゃん。
私も祈ってるから。
(終わり)