その後、労働ビザの申請が間に合わなかったために
私はアメリカから帰国するに至った。
その約一週間後に、父の膀胱摘出の手術が行われた。
膀胱を全摘出し、小腸の一部を使って人工の膀胱を作るという
8時間もかかる大手術であった。
手術は成功に終わった。
糖尿の気があったため、傷口がふさがりにくく
思ったよりも術後の退院が遅れたが、
どこにも癌が転移していないとの医師の言葉にほっとした。
父は退院後に仕事にも復帰した。
「今までは本当に大変やったけど、
これからは良くなるばかりやから。」と、私は父に言った。
4月から、私は地元を離れて、現在の会社で働き始めた。
癌が転移していたとの連絡を受けたのは
働き出して、2週間ほど後のことだった。
私は、転移していなかったという医師の言葉を思い出し
悔しいような気持ちになった。
抗がん剤治療、放射線治療を受けたにも拘わらず
父の病状は少しずつ、目に見えて悪化していった。
私は無邪気にも7月までは、
父は良くなるのではないかと信じていた。
本人も自分は元気になって家に帰ると言っていた。
「お父ちゃん、秋になったら、一緒に韓国行こう!
私がご招待するから。」
「おお、それは悪いな。」
そう言いながら、楽しみにしている様子だった。
何回かアジアに行っている母と違い、
父は一度も海外に行ったことがなかったのである。
(続く)