イタリア映画“Ieri, Oggi, Domani”は、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが出てくる、オムニバス・コメディ映画です。このブログも昨日(過去)のこと、今日(現在)のこと、明日(未来)のことを書いていきます。

2008年11月29日土曜日

Harry Potter and the Half-Blood Prince

Harry Potter And The Half-Blood Princeは
アメリカで今月上映予定だったのに
先日、ワーナーブラザーズが来年の7月に延期すると発表したのです。
どうして半年以上も先延ばしにしたんでしょうね。
アメリカで7月ってことは、日本ではその数ヶ月後、
下手したら半年後の上映になりますよね。
ってことは、、、今から1年後くらい???

あーーーっ、早く見たいーーー!

新しい予告編を見つけたのでご紹介します。

2008年11月23日日曜日

真夜中の群衆3



ユニオン・スクエアからYさんと地下鉄に乗る。
そして、グランド・セントラル駅で7番に乗り換えた。
Yさんと別れた後、ジャクソン・ハイツでEの電車に乗った。
E線でJFK空港行きのエアートレインが出ている駅まで行くのである。

Eの電車に乗った頃にはもうすっかり日付が変わっていた。
それでも車内は多くの乗客が乗っている。
少しリラックスしたころ急に車内放送が流れた。

「この電車は快速です。ご注意ください。」

そもそも私が降りる駅は快速が停まる駅だったから
特に気に留めなかった。
すると、しばらくして、また放送が流れた。

「この電車は179ストリート行きです。」

なぬっ? 179ストリート???

それはEの終着駅ではないような気がして車内の路線図を確認する。
案の定、それはEの終着駅ではなく、Fの終着駅だった。

えっ? もしかて、私、電車間違えて乗っちゃった??

一瞬、頭が混乱する。
確認のため車体に書いてある表示を見てみる。
何度見ても、車体にはEという文字が書かれている。
なんのことはない、MTAが勝手にEの電車をFに使用したというわけだった。
そして、ここが肝心な点であるが、乗客は乗って初めてそれを知らされたのだった。

「Jamaica CenterへはUnion Tpke駅からシャトルバスが出ます。」

バスに乗れる人数が限られているだろうと思うからだろうか。
Union Tpke駅に着くと、乗客は無言で、そして足早に駅の出口に向かった。
乗客はほとんどがJamaica地区に住む黒人のようだった。
皆、長い一週間が終わり疲れた体で家に帰るところなのだろう。
JamaicaとはNY市の中でも黒人が多く住む地域の一つである。

気がつくと、夜の12時30分をとっくに過ぎている。
日本よりも気温と湿度の低い澄んだ夜空には美しい星が輝いていた。

☆ ☆ ☆

こうして、冒頭のMTAが用意したバスに乗り、Sutphin Blvdで降り、
エアートレインとホテルのシャトルバスを乗り継いで
ホテルにたどり着いた頃には1時半を過ぎていた。

翌日は早朝のフライトだったため、夜のうちに荷造りをし
それから熱いシャワーを浴びてベッドに入ったのは2時半。
翌朝は5時起きだったため、睡眠時間はたった2時間半しかない。

無駄に広いキングサイズの真ん中にたった一人で体を横たえる。
もうすこしこのベッドでだらだらと過ごしたかった、
そして、いま、このベッドの上の私の隣に、
愛する人がいてくれたらどんなに良いだろう、
そんなことを考えながら眠りについた。



日本に帰って、あっという間に1ヶ月以上が過ぎて行った。
今回は体調が悪かったせいか、時差ボケがひどく
日本に帰ってきてからも、しばらくグロッキー気味だった。
観光旅行と異なり、地方都市の友人宅でただただゆっくりしただけ。
しかも、何度も行っている場所なので別に珍しさもなかったが、
久しぶりに友人に会えた嬉しさに感動してうるうるした旅だった。

体はしんどかったけれど、どんなに忙しい人でも、どんな立場の人でも
自分を取り戻すために、旅は必要なのではないかと思った。

(The End)

2008年11月16日日曜日

真夜中の群衆 その2


友人の住むR市からJet Blueの飛行機に乗って
NY市に着いたのは午後1時半ごろだった。
翌日のフライトが早朝だったため、
その日はJFK空港の近くにあるホテルを予約していた。
ホテルにチェックイン後、1時間弱部屋で過ごしたのちNY市内へ向かった。

地下鉄をEから懐かしの7に乗り換え、
会社最寄りの駅で降りた。
いつも通勤で通っていた道。
まったく何も変わっていない。
まるでタイムスリップしたみたいだった。
私が向かった先は以前働いていたオフィスだった。

私が会社を辞めたのは約2年前。
H1-Bビザの申請が間に合わず帰国を余儀なくされたのだった。
会社を辞めてから初めて訪れるオフィス。

たった2年、されど2年。

会社は私がいたころよりも人数が大幅に増えていた。
びっくりしたのは、私が働いていたころのメンバーがかなり少なくなっていたことだった。
何事もどんどん変化していく。
わかってる筈なのに、一抹の淋しさをかんじた。

懐かしい人たちとの再会。
皆さん、元気で頑張っておらるようだった。
なんと、ちょうどアメリカに来ていたM社長の姿まで見られた。
もっとNY市で時間を作ればよかったと後悔した。
後悔先に立たず。
翌朝にはNYを発たなければならないのだった。

その後、Yさんをマンハッタンで買い物につき合わせた。
金曜の夜だったため、街は人でごった返していた。
夕食をとるべくレストランに入ると、45分待ちだと言われてしまう。
お腹はぺこぺこ。
別の所に行ってみたが45分待ちだった。
ベトナム料理のSaigon Grillに行くと、25分待ちと告げられた。
待ち時間が一番短かったため、そこに決めた。
30分以上待って、
ようやくテーブルに着いた頃にはすでに9時を回っていた。

(To be continued)