イタリア映画“Ieri, Oggi, Domani”は、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが出てくる、オムニバス・コメディ映画です。このブログも昨日(過去)のこと、今日(現在)のこと、明日(未来)のことを書いていきます。

2009年2月1日日曜日

嗚呼、あめりか パート2

アメリカの大学に行った時、アメリカンヒストリーは必須授業だった。
アメリカの短い歴史を南北戦争までと、
南北戦争後からG.W.ブッシュ大統領就任までとに分けて
前期、後期として、どちらかを選択できるようになっていた。
私は、後期を選択した。

アメリカには歴史はない!と豪語していた私だが、
最初の試験で38点を取ってしまい、
焦って教授に会いに行ったりしたことがあった。。。

「どうしたら、いい点が取れるんでしょうか?」と、単刀直入に教授に尋ねた。

時々、昔のマドンナみたいな恰好(Gジャンに黒いスパッツ。。。)で
授業に現れることのあった女性教授は言った。

「そうね~、教科書の各章には年表があるでしょ。
 この各項目の起こった年号と、その内容を説明できるようにしたらどうかしら。」

なるほど! やってみます!

とは言ったものの、年表は詳細を極めていた。
小さな事件でも書かれていたため、年表を元に事件の詳細を調べて、
年号と内容を記憶するのは結構大変な作業だった。

また、一般教養では社会学を取った。
色々な社会問題を取り扱う授業だった。
時々、ゲストがやってきては自分の体験を語った。

人種差別がテーマの時には、授業には黒人の50代と40代の男性2人が
ゲストとしてやってきて、自分が受けた差別体験を語った。
いかに時代が変わってきているとはいえ、
やはりあらゆる面で根強い差別が存在すると言っていた。

アメリカンヒストリーや社会学では、当時のフイルムを見させられた。
どちらの授業で見たのか思い出せないが、
ある映像が私の中で強烈に残っている。

中学生くらいの数人の黒人の子供たちが、白人の通う学校に行き、
白人の親から自分の子供を黒人とともに勉強させたくないと
ボイコットに遭い、泣く泣く学校を後にする姿だった。
沿道には警察官や恐ろしい形相の白人が彼らに罵声を浴びせかけていた。

また、歴史的な平和の大行進に参加する黒人が、まるで、動物のように、
消防で使うようなすごい水圧の水を浴びせかけらられていた。
それは、立っていられないくらいの水圧だった。
それでも、彼らは屈することなく行進を続けるのだった。

そもそも、公民権運動はアラバマ州モンゴメリに住む
ローザ・パークスという一人の黒人女性がとった行動に端を発する。

アメリカ南部には、ジム・クロウ法(Jim Crow laws)と呼ばれる
人種分離法があった。
バスやレストランなど公共の場所で黒人は白人と同席できなかった。
バスの中でも白人席と黒人席に分けられていたが、中間の席には
白人がいない時には黒人も座ってよいことになっていた。

ある時、仕事を終えたローザがバスの中間席に座っていると白人が乗ってき始めた。
白人男性が彼女に席を立つように促したが、
彼女は「立ちません。」と答えてそのまま座り続けた。
この白人男性の通報により、ローザは市条例違反で逮捕された。
その逮捕に抗議したのは、キング牧師だった。
彼はモンゴメリの黒人にバスに乗るのをボイコットするように
呼びかけて、黒人はそれに応じた。
バスの乗客の70%は黒人だったため、
バスを運営する市は大きな打撃を受けたのだそうだ。

オバマが大統領になり、初の黒人大統領という観点から注目を集めたが、
今は肌の色とか、保守とかリベラルとか言っていられないほど
重大な問題が山積している時期である。
40万人の雇用を創出するとか、キューバのグアンタナモ基地を
閉鎖するとかは、口で言うほど簡単なことではない。

一昨日のニュースでは、オバマは、経済対策として打ち出す
公共工事に使用する鉄骨はアメリカの会社のものを使用すべきと発表したそうだ。
従来、自由貿易を標榜してきたアメリカの、保護主義ともとれる政策である。

日本人が惚れるオバマだが、果たして、彼と両想いになれるのか、
はたまた、片思いの末に、すごい振られ方をするのか、
なんとなく心配なような、楽しみなような。。。

(終わり)