イタリア映画“Ieri, Oggi, Domani”は、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが出てくる、オムニバス・コメディ映画です。このブログも昨日(過去)のこと、今日(現在)のこと、明日(未来)のことを書いていきます。

2009年6月26日金曜日

早すぎる天使の死

昨日、会社でSさんが言った。

「ファラ・フォーセットが末期がんだって知ってる?」

「ええ、知ってますよ。」

「ああ、良かった。ファラ・フォーセット知ってる人がいて。
 うちのカミサンに言ったら、それ誰?だよ~。」

ファラ・フォーセットはチャーリーズ・エンジェルのエンジェルの一人だった。
彼女が末期がんだというのを知ったのは数週間前のことだった。
NBCで彼女のがんと闘いのドキュメンタリーが放送されるというニュースを見たのだ。
驚いたことに、ドキュメンタリーのビデオを撮り始めたのは彼女自身だというのだ。

私の記憶中での彼女は、若くて美しくてセクシーできらきら輝いているままだったから
現在62歳で、しかも末期がんを患っていると知ってとてもショックだった。
ドキュメンタリーの中で、彼女はトレードマークの金髪の
髪が抜けたり、痛みに苦しんだり、吐いたりする。
普通だったら、人に見せたくない姿である。
若くてきれいだったときのことだけ覚えていてほしいと
思うのが普通のような気がするが、彼女は違った。
彼女は自分の闘う姿をみんなに覚えていてほしかったのだ。

彼女は本当に勇気がある人だったのだなと思う。
仕事を一緒にした監督が言った。
彼女は素晴らしいリスク・テイカーでした。(リスクを取る人)

闘病のドキュメンタリーの中で彼女は言った。

「一日の終わりに自問するのです。
 私は今日一日、最善を尽くしただろうか、と。」

彼女は最期まであきらめなかった。
そして、闘い続けた。

ファラ・フォーセットは、現地時間の昨日、天に召された。

2009年6月21日日曜日

語学学習

もう10数年前の話。

初めて海外旅行に行った先は、イギリスとフランスだった。
4日間過ごしたイギリスで友人と別れた後、
私はフランスに一人で向かうことにした。
どうしてもパリに行ってみたかったのである。
電車でドーバーの港まで行き、そこから船に乗った。
船が港から離れていく時、ドーバーの有名な
石灰石でできた真っ白な崖を眺めていたのを覚えている。
その当時、イギリスとフランスを結ぶ海底トンネル(ユーロトンネル)は
なかったから、飛行機で行くか、船で行くしか手段がなかったのである。

フランスでは、私の大好きなバンド、The Stranglersの
ファンジンを出していたフランス人の男性F の家に泊めてもらうことになっていた。
彼とは何度か手紙のやり取りをしていただけだったが、私の願いを快諾してくれた。
パリ郊外の、高級住宅地に住んでいた彼には、
同棲中の彼女と、二人の娘がいた。
フランスではカップルが結婚しないケースが多い。
結婚しなくても、カップルやその子供たちは、結婚している人たちと
ほとんど同等の権利を与えられている。

上の娘は、その当時、3歳未満。下の子は生まれて数か月だった。
若いカップルは、当然、仕事と子育てでとても忙しそうだった。
翌日の夕方、Fと一緒に保育園に娘たちを迎えに行った。
3歳未満のオードリーはお父さんが迎えに来たのを見つけて
小走りで飛んできた。
とてもかわいらしくて、いっぱい話し掛けたかったが
私にはフランス語が話せなかった。

なんとかフランス語で繰り出した、Ou est Eve? (イブはどこ?)
という一言が、なんとか通じて、オードリーはなにかを言いながら、
保育所のとある部屋の方向を指さした。
あと、ウサギのぬいぐるみを指さして、
Qu'est-ce que c'est? (これは何ですか?)と聞くと
オードリーは、C'est un lapin. (これはウサギです。)と答えた。

日本に帰国して、フランス語を勉強し始めた。
またフランスに行ったら、オードリーにフランス語で話しかけたい、
そう思ったからである。
何か目標がないと、勉強が続かないと思ったので
フランス語検定の4級を受けることを当初の目標にした。
(フランス語検定は1~5級あり。)
数ヶ月後、4級を受験すると、合格した。
で、その次の年、3級を受験して、合格した。

フランス語はその昔、外交の場で用いられた公用語だった。
そのうち、英語にとってかわられたが、
フランス人はそれが今でもきっと悔しいのだろう。
フランス政府は国を挙げて、フランス語の普及に力を入れている。

フランス語検定に合格すると、東京と京都で開かれる式典に出席できた。
その式典には、東京の会場ではフランス大使が出席し
京都ではフランス領事館からフランス領事が出席して祝辞を述べた。
各級の成績優秀者上位3人が、フランス政府や、フランス企業から
プレゼントをもらっていた。
美しく包装され、リボンが掛けられた箱を、私は羨望の眼差しで眺めていた。
そのあと、立食パーティがあり、軽食と飲み物が用意されていた。

その後、2級を受験したかったが、2級は2次試験で面接があり
フランス語を全く会話する機会がなかった私には、かなり大変だと思えた。
(3級までは筆記と聞き取り試験のみ。)
その後、フランスに行かないまま、数年が過ぎた。
そして、私は3級の合格後、急にフランス語の勉強をやめてしまった。
あんなに一生懸命勉強し、単語や動詞の活用を覚え、文法をやったのに、である。
で、今の私のフランス語の実力はかなり初心者に近い。。。

去年、Gからフランス語の本を2冊もらった。
1冊は、なんとか読み終えた。
しかし、もう1冊を読もうとしたところ、まったく歯が立たなかった。
その本は、有名な作家の作品の一部を集めたものだったため
文学的な文章のためかかなり難しかった。
そして、思った、

もう一度、フランス語をやろう。

というわけで、最近は昼休みにフランス語を学んでいる。
語学学習の極意は毎日コツコツである。
もしかして、そのうち、仕事で役に立つかもしれない。
パリで試食販売とかあるかもしれないし。。。(?)

2009年6月14日日曜日

Fanfarlo

前働いていた会社で同僚だったIさんがFacebook上で紹介していた
Fanfarloというバンド。
なかなか面白い音楽性だと思ったので紹介します。

私は基本的にはロック好きで、アコースティックはほとんど聞かないのですが、
このFanfarloはアコースティックながら、とても力強い演奏で気に入りました。
下記のサイトでは、最新アルバムのReservoirのなかの数曲が聴けます。
是非試しに聞いてみてください。

7月4日までだったら、アルバムそのものを1ドルでダウンロードできるようです。
http://www.fanfarlo.com/

2009年6月10日水曜日

『大草原の小さな家』のローラ

子供のころ、テレビでやっていた『大草原の小さな家』をいつも見ていた。
特にお気に入りは、マイケル・ランドン演じるお父さんで、
頼もしくて、家族に対する愛情あふれるその姿は
私の中で、いつも理想のお父さんだった。

主役のローラは、そんな父さんややさしい母さんや
仲良しの姉妹に囲まれて、まっすぐに育っていく。
ローラ達は、いつも可愛い花柄のワンピースを着ていたのだが、
私にはそれがとても羨ましかったものだ。
子供の私にはそれが、時代的に昔のものとは分からず、
アメリカでは、女の子は皆あんな風な服を着ているのだと思っていた。
まさか、それが、100年以上も前の(19世紀末の)話だなんて知らなかった。

この間、何気なくNBCを見ていたら、そのローラを演じていた
メリッサ・ギルバートのインタビューがやっていた。
当然だが、あまりに容貌が変わっていて一瞬誰だか分らなかった。
でも、話す姿を見ていると少しだけ子供時代の面影を見てとれた。
ドラマ『大草原の小さな家』に関する自伝的な本を書いたようである。


余談だが、ドラマの中で、いつもローラに意地悪をしていた
ネリー役の女優さんはプライベートでは仲良しの友人なのだそうだ。

2009年6月7日日曜日

Squeeze !!

時計に眼をやる私。

おお、もう7時じゃん、
やばい、そろそろ帰って野菜の収穫しないと
泥棒が私の畑に忍び込んで野菜を盗んでいく。
それと、ウサコに餌やらないと!

最近、ペットのウサギを飼い始めた。
名前はウサコ。
餌をやり、体を洗い、遊んでやると楽しそうに笑う。
それと、畑で野菜を作っている。
種をまき、水をやり、雑草を抜き、虫がついたら殺虫剤をかける。
実がなれば収穫して店で野菜を売る。。。

というのは、Facebook の中でのこと。
Facebook とは、俗にいう、プロフサイトで
香港のマブダチに招待されてやり始めた。
他のプロフサイトのことはよく知らないけれど、
このFacebook は結構遊べる。
友達のアクティビティがよくわかるし、
友達と簡単に連絡が取れていい。
Facebook は世界的に広がっている。

知り合いで、私の好きな某バンドの元ギタリストの
友達リストを見ていて、ある名前を見つけた。
クリス・ディフォード。
クリスって、あのSqueeze のクリスでは???

Squeeze とは70年代から90年代後半にかけて
イギリスで活躍したポップ・バンドで、
90年代後半に発表した Domino という名アルバムを最後に
現在は活動を休止している。
Squeezeはポップでキャッチーな曲調が特徴でイギリスでヒットした。
クリスはバンドのギタリストで、グレン・ティルブルックとともに
バンドの中心メンバーであった。
Domino のリリース直後に二人が来日した時、
大阪にコンサートを観に行ったことがある。
もう10年も前のことになるのだなと思った。

今でも、時々、無性にSqueezeが聞きたくなるときがある。





<

恐る恐る、クリスにFriend Requestを出して、こう書いた。

「貴方はあのSqueezeのクリスですか?
 Squeeze 大好きです。
 私は10年前に来日したとき大阪でライブを見ました。」

翌日、Facebook をチェックすると、
クリスは私のRequest を受けいれてくれていた。

いぇーーーいーーーーー!(嬉)