イタリア映画“Ieri, Oggi, Domani”は、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが出てくる、オムニバス・コメディ映画です。このブログも昨日(過去)のこと、今日(現在)のこと、明日(未来)のことを書いていきます。

2008年12月24日水曜日

簡単でおいしいチーズケーキ

私がNY市に住んでいた頃、部屋にいる時はいつもテレビをつけっぱなしにしていた。
いつも見ていたのは、NY1という、NY市のニュースを主に流すチャンネル。
それから、時々HBOのドラマ、それに、フード・チャンネルという、
一日24時間、食べ物に関連する番組を流すチャンネルだった。
日本に帰って残念に思ったことの一つが、このフード・チャンネルが見られなくなったことだった。

私が最初に興味を持ったのは、エメリル・ラガッシというシェフの番組、
エメリル・ライブだった。

このエメリル・ライブとは、スタジオに招かれた観客の前での料理の実演(ライブ)と
エメリル・バンドいう名前のライブ演奏という2つのライブで構成されていた。
エメリルは料理だけでなく音楽の才能にも恵まれ、有名な音楽大学に誘われたこともあったらしい。
結局、その誘いを断って、料理の大学に進んだのだが、
この番組は彼の両方の才能が表現できる番組だったに違いない。
彼は料理やお菓子の仕上げにかける塩や、粉砂糖などを、
気合いを入れて、勢いよく、BAM!BAM!(バン、バン)と言いながら振りかけるので有名である。

よく、昔の『料理の鉄人(Iron Chef)』の再放送もこのチャンネルでやっていた。
道場さんとかが料理をつくっているのをよく見た。
このチャンネルが独自にアメリカ版の『料理の鉄人』を作って放送もしていた。
このチャンネルに番組を持つ、ボビー・フレイに、マリオ・バタリ、
そして、日本人の森本マサハル(漢字不明)が鉄人だった。
マリオのレストランはNY市にあったが、一度も行かなかった。
行ってみたかったなぁ。。。

今日、ご紹介する、レイチェル・レイは、私が大学を卒業したNY州北部の町の近くの出身だった。
同じ北部の、あの同じ空気を吸っていたのだと思うだけで、なんとなく親近感がわくものである。
レイチェルには2つ番組があり、『30分でごはん(30 Minite Meal)』と
『1日40ドル($40 A Day)』であった。
文字通り、30分間で料理を作る番組と、もう一つは旅行先で1日に$40の予算で
朝食から夕食まで、美味しいものを食べるというものであった。
前者の番組では、作りながらしゃべる、しゃべる。
いつも、よくあんなにしゃべりながら料理が作れるものだと感心していた。
後者のほうは、観光しながら、地元の人においしくて安い店を聞いて行ってみるのである。
15%のチップを支払うアメリカにおいて、チップを入れて$40の予算で
3食を食べるのだからすごい。
しかも、結構おいしそうなものを食べている。
そういや、レイチェルって、イタリア人と結婚したっけ。
それが、とても羨ましかった覚えがあるのだった。はは。。。

インターネットのお陰で、フード・ネットワークの過去の番組は
ウエブサイトで見られると知ったのは、最近のことである。
レイチェルが作る、簡単、安上がりのチーズケーキです。

2008年12月8日月曜日

変わらないビートを刻んで。。。

数日前にHugh CornwellのCD、"Hooverdam"をAmazon.comで買った。
2枚買えば10%OFFキャンペーンだったので、格安で手に入れた。
HughはThe Stranglersのオリジナル・メンバーで、
20年近く前にバンドを脱退してからはずっとソロ活動をしている。
このところ、Hughからご無沙汰気味だったが、
久しぶりにHughの今年リリースされたこのHooverdamを聴いて驚いた。

年をとってメローになったのかと想像して聴いてみたら、
とんでもないことだった。
最小のユニットで演奏していることもあり、音はかなりシンプル。
彼はギター&ボーカルを担当し、
あとはベースの若い女性とドラマーのたった3人だけ。
シンプルだが、ロックの原点に戻ったような元気で小気味よい曲が並ぶ。
かなりかっこいい。



もちろん、風貌は年をとっている。
50代後半のはずである。
でも、何歳になっても精神に宿るロック魂は変わることはない。
まだ、ロックやってるの?って聞かれても
年取ったら人間丸くなるものだよ、なんて言われても。
またいつもの変わらないビートを刻んでいるのかい?なんて聞かれても。

私の心の中にもいつもロックは熱く流れている。
普段は隠れているけれど。
まるで地下を流れる高温のマグマみたいに。
私の心がぴょんぴょん飛び跳ねた。
Hughが刻む変わらないビートに乗って。

このHooverdamはCDとDVDの2枚組である。
DVDにはBlueprintというタイトルがついていて
HughのインタビューとCDに収められた曲のスタジオ演奏を見ることができる。

2008年12月3日水曜日

めでたい話


「Iが帰国するらしいんだ。」
「え~っ、そうなの?」

Iは数年前にヨーロッパの某国からアメリカにやって来た。
アメリカ市民になるために、彼はアメリカ海軍に入隊して1年過ごした。
3年前に出会ったころの彼はアメリカの結構いい大学を卒業して
丁度会社で働き始めたところだった。
そして、彼にはアメリカ人の気立てのいい彼女もいた。
その彼が帰国するというのだ。

「国に帰ってどうするの?仕事は?彼女とはどうするつもり?」

矢継ぎ早に質問する私に、Gは説明した。
Iはアメリカ人の彼女とはしばらく前に別れていた。
久しぶりに短期間母国に帰国したIは、そこで運命の女性と出会い
更に仕事も見つけて帰国することにしたというのだ。
そして、近々結婚する予定なのだという。

話題を変えて、数ヶ月前に帰国したSについて尋ねる。

「そういえば、Sは元気にしてるのかな?」
「ああ、Sね、今度結婚するらしいよ。」
「えええ~~~!!ホントに?」

Sとはアメリカにいる時に時々一緒にご飯を食べたり
映画を見たりしたものだった。
とても優しい人だったが、彼女ができないでいた。
いつも私は、あんなにいい人にどうして彼女ができないのだろうと思っていた。

「でも、Sって3か月前に帰国したばかりだよね?なのにもう結婚だなんて。」
「3か月の間に結婚相手をみつけたんだよ。」

立て続けに2件も結婚話を聞いてびっくりした。
しかも、2人とも相手に出会ってすぐに結婚をきめたようなのだ。
運命の相手に出会うと、すぐに結婚って決められるものなのだろうか。
出会ってすぐに運命の人だとわかるのだろうか?

フランスではこんな諺があるようだ。
Les mariages sont ecrit dans le ciel.
数年前に買ったワイングラスに書かれている言葉である。
「結婚は空に書いてある。」
すなわち、結婚は運命で決まっているという意味なのだろう。

私の結婚も、私が知らないだけで、すでに決められているのかもしれない。
というわけで(?)、結婚が決まったら、すぐにお知らせします。
何もお知らせしない間は結婚が決まっていないとご理解ください。。。

2008年11月29日土曜日

Harry Potter and the Half-Blood Prince

Harry Potter And The Half-Blood Princeは
アメリカで今月上映予定だったのに
先日、ワーナーブラザーズが来年の7月に延期すると発表したのです。
どうして半年以上も先延ばしにしたんでしょうね。
アメリカで7月ってことは、日本ではその数ヶ月後、
下手したら半年後の上映になりますよね。
ってことは、、、今から1年後くらい???

あーーーっ、早く見たいーーー!

新しい予告編を見つけたのでご紹介します。

2008年11月23日日曜日

真夜中の群衆3



ユニオン・スクエアからYさんと地下鉄に乗る。
そして、グランド・セントラル駅で7番に乗り換えた。
Yさんと別れた後、ジャクソン・ハイツでEの電車に乗った。
E線でJFK空港行きのエアートレインが出ている駅まで行くのである。

Eの電車に乗った頃にはもうすっかり日付が変わっていた。
それでも車内は多くの乗客が乗っている。
少しリラックスしたころ急に車内放送が流れた。

「この電車は快速です。ご注意ください。」

そもそも私が降りる駅は快速が停まる駅だったから
特に気に留めなかった。
すると、しばらくして、また放送が流れた。

「この電車は179ストリート行きです。」

なぬっ? 179ストリート???

それはEの終着駅ではないような気がして車内の路線図を確認する。
案の定、それはEの終着駅ではなく、Fの終着駅だった。

えっ? もしかて、私、電車間違えて乗っちゃった??

一瞬、頭が混乱する。
確認のため車体に書いてある表示を見てみる。
何度見ても、車体にはEという文字が書かれている。
なんのことはない、MTAが勝手にEの電車をFに使用したというわけだった。
そして、ここが肝心な点であるが、乗客は乗って初めてそれを知らされたのだった。

「Jamaica CenterへはUnion Tpke駅からシャトルバスが出ます。」

バスに乗れる人数が限られているだろうと思うからだろうか。
Union Tpke駅に着くと、乗客は無言で、そして足早に駅の出口に向かった。
乗客はほとんどがJamaica地区に住む黒人のようだった。
皆、長い一週間が終わり疲れた体で家に帰るところなのだろう。
JamaicaとはNY市の中でも黒人が多く住む地域の一つである。

気がつくと、夜の12時30分をとっくに過ぎている。
日本よりも気温と湿度の低い澄んだ夜空には美しい星が輝いていた。

☆ ☆ ☆

こうして、冒頭のMTAが用意したバスに乗り、Sutphin Blvdで降り、
エアートレインとホテルのシャトルバスを乗り継いで
ホテルにたどり着いた頃には1時半を過ぎていた。

翌日は早朝のフライトだったため、夜のうちに荷造りをし
それから熱いシャワーを浴びてベッドに入ったのは2時半。
翌朝は5時起きだったため、睡眠時間はたった2時間半しかない。

無駄に広いキングサイズの真ん中にたった一人で体を横たえる。
もうすこしこのベッドでだらだらと過ごしたかった、
そして、いま、このベッドの上の私の隣に、
愛する人がいてくれたらどんなに良いだろう、
そんなことを考えながら眠りについた。



日本に帰って、あっという間に1ヶ月以上が過ぎて行った。
今回は体調が悪かったせいか、時差ボケがひどく
日本に帰ってきてからも、しばらくグロッキー気味だった。
観光旅行と異なり、地方都市の友人宅でただただゆっくりしただけ。
しかも、何度も行っている場所なので別に珍しさもなかったが、
久しぶりに友人に会えた嬉しさに感動してうるうるした旅だった。

体はしんどかったけれど、どんなに忙しい人でも、どんな立場の人でも
自分を取り戻すために、旅は必要なのではないかと思った。

(The End)

2008年11月16日日曜日

真夜中の群衆 その2


友人の住むR市からJet Blueの飛行機に乗って
NY市に着いたのは午後1時半ごろだった。
翌日のフライトが早朝だったため、
その日はJFK空港の近くにあるホテルを予約していた。
ホテルにチェックイン後、1時間弱部屋で過ごしたのちNY市内へ向かった。

地下鉄をEから懐かしの7に乗り換え、
会社最寄りの駅で降りた。
いつも通勤で通っていた道。
まったく何も変わっていない。
まるでタイムスリップしたみたいだった。
私が向かった先は以前働いていたオフィスだった。

私が会社を辞めたのは約2年前。
H1-Bビザの申請が間に合わず帰国を余儀なくされたのだった。
会社を辞めてから初めて訪れるオフィス。

たった2年、されど2年。

会社は私がいたころよりも人数が大幅に増えていた。
びっくりしたのは、私が働いていたころのメンバーがかなり少なくなっていたことだった。
何事もどんどん変化していく。
わかってる筈なのに、一抹の淋しさをかんじた。

懐かしい人たちとの再会。
皆さん、元気で頑張っておらるようだった。
なんと、ちょうどアメリカに来ていたM社長の姿まで見られた。
もっとNY市で時間を作ればよかったと後悔した。
後悔先に立たず。
翌朝にはNYを発たなければならないのだった。

その後、Yさんをマンハッタンで買い物につき合わせた。
金曜の夜だったため、街は人でごった返していた。
夕食をとるべくレストランに入ると、45分待ちだと言われてしまう。
お腹はぺこぺこ。
別の所に行ってみたが45分待ちだった。
ベトナム料理のSaigon Grillに行くと、25分待ちと告げられた。
待ち時間が一番短かったため、そこに決めた。
30分以上待って、
ようやくテーブルに着いた頃にはすでに9時を回っていた。

(To be continued)

2008年10月30日木曜日

真夜中の群衆

真夜中。

午前12時40分。

場所、NY市のクイーンズの某所。

80人ほどの群衆が地下鉄の駅の出口にたむろしている。

疲れた顔。不満そうな顔。怒った顔。。。

誰一人として楽しそうな表情の者はいない。

人種構成、黒人90%、白人1%、ヒスパニックなど有色人種9%、

黄色人種の外国人1名(私)を含む。

そこへ警察の車が近づいてくる。

群衆に尋問するかと思いきや、何も見なかったかのように、

群衆の横をゆっくり通り過ぎていった。

若い黒人女性が吐き捨てるように言った。

「一体どこにバスが待ってるってのよ。このクソッタレMTA!!」

皆、大きな通りを見渡してバスを探す。

10分ほどたったころ、突然、通りの向こう側にバスが2台現れる。

誰かが広い通りを渡ってバスに近づきバスの中の人物と何やら話をしてる。

バスの中にいたMTAの職員と思しきその人物は、バスを降りて我々のほうに近づいてきた。

「バスは別の場所で待っていたんですけど、誰も来なかったので出発したんです。」

その発言をきっかけに群衆の不満が爆発した。

「普通、地下鉄の代わりに出したバスなら、駅の出口近くで待ってるべきだろ。」

「早くバスを呼んでこい!」

皆、口ぐちに文句を言っている。

困った顔をして、男性はバスに戻り、2台のバスを通りのこちら側に連れてくる。

ようやく、バスは群衆の目の前に停まり、前方の入り口が開く。

「後ろのドアも開けろ!」、「早く開けろ。」、「後ろのドアって言ってるだろ。」

恐れをなした運転手は後方のドアもあける。

我先に乗り込もうとする群衆。

一種の混乱状態。

私も急いでバスに乗り込む。

乗り遅れたら大変だ、次はいつ乗れるかわからない。

次々と群衆は狭い車内に乗り込み、

こうして、真夜中の満員バスが2台、

Jamaica Center駅向けて出発したのだった。

(To be continued.)

"The Shock Of The Lightning" by Oasis

2008年10月3日金曜日

10年ぶりに。。。

10年ぶりにパスポートを作った。

今年の2月に前のパスポートの有効期限がきれていた。
10年前にパスポートを作った時には、
10年間の有効期限は遠い未来のような気がしたけれど
気がつけば、あっという間に過ぎて行った。

古いパスポートをまじまじと眺めてみる。

各ページを開いてスタンプの日付を追ってみる。
毎年、飛行機に乗って国を出入りしていたのがわかる。

ページに貼られたF-1ビザ(学生ビザ)。
今より少し若い顔の写真のなかの私。
過ぎ去った10年にふと思いを馳せた。

今月11日からアメリカに行ってきます。
2年ぶりにUpstate NYへ。
楽しみです。

She Left Me On Friday by Shed Seven

2008年10月1日水曜日

別れ、そして出会い

あなたとはもう会えないのね。
あなたの硬派なところが大好きだったわ。
さようなら。

さようなら、徹男。

そうです、徹男とは男前豆腐店のお豆腐です。
もう、製造が終わっちゃうとのことです。
なんだか、さみしいわ~。



でも、新製品がぞくぞく出てます。
なかでもレンジでチンして食べる『とろっとろ』は
お豆腐の新たな可能性を垣間見ることができます。

にゃんだか、男前豆腐店の宣伝みたくなっちゃいましたね。

2008年9月21日日曜日

Kくんのこと。

Kくんとは、私の甥のことである。

現在、2歳半。

最近、よくおしゃべりするようになった。

「Kちゃん、チューして。」と、私。

すると、Kくんは頭を振りながら答える。

「いやだ。」

「じゃ、チューさせて。」と、私。

「チューはいやだ。」

と、またもや、頭を振りながら答えるKくん。

そっか。。。そなんだ。。。

そういえば、わたくし、

彼がまだおしゃべりできない頃、

だっこしては、ほっぺにいっぱいチューをしておりました。

時々、Kくんは、頭を振っていたっけ。

そっか。。。

私のチューがいやだったのかもね。。。

反省の色なく、隙をみつけてはK君のほっぺにチューする私であった。。。。

2008年9月14日日曜日

思わぬ再会 その一



数か月前のこと。
仕事で銀行に行って、
あまりの銀行側の対応の遅さにイライラしながら待っていた。
あまりイライラするので気分を紛らわせようと
近くに置いてあった某雑誌を手に取ったのです。

ページをペラペラめくると、
パリ特集が目に飛び込んできた。

お、パリじゃん、面白そう。。。

パリで日本人パティシエと結婚した雨宮塔子が
美術館にたたずんでいる写真が載っていた。

なんと、そこは私が好きなGustave Moreau 美術館だった。
彼女がアナウンサーを辞めて美術史の勉強をするために
パリに渡ったことは話に聞いていたが、
そこで彼女が取り上げたのはGustave Moreau というではないか。
彼女もGustave Moreauが好きだとわかって
急に少し彼女に親近感を持った。

待ち時間であることを忘れて、すっかりパリ特集に没頭してしまった。
そして、心の中にある感情が湧きあがってきた。

そうだ、すっかり忘れていた。。。
私、フランスが好きだったんだ。
私、Gustave Moreau がすきだったんだ。

なんだか急に大切なものを思い出したような気持ちになった。
気がつけば、イライラはどこかに吹っ飛んでしまい
気分はすっかりリフレッシュしていた。

2008年9月7日日曜日

Sex And The City

しかし、、、今日も蒸し暑かったですね。
今日は二日酔い気味で、朝から水分をとってごろごろしてました。
ちょっと飲みすぎたかも。。。
昨日は同じアパートに住むYちゃんとガールズトークで盛り上がりました。

話題はやはり恋愛。

恋愛といえば、
先日観た映画、Sex and the City は面白かった。
アメリカにいたとき、テレビで見ていましたが
今回は映画ということで、いったいどんな展開になるんだろうとおもっていたら、
キャリーに思わぬ事態が起こりびっくり。
そして最後は一転思わぬ結末が!!!

恋愛、結婚、そして友情。
泣いたり、笑ったり、ほんと最高に面白かった!!
他の3人も愛や結婚でいろんな展開がありました。
公開中だからストーリーを書くのはNGなので書きませんが。。。
ほんとお勧めの映画です。

「その映画って、女の人しか見に行かないらしいじゃないですか?」と、近所の男性美容師。

うむ。。。そうかもね。。。

でも、女性が見たら絶対楽しめる映画ですよ。
まだ見てない人はぜひ見てねん。

Sex and the City トレイラー

2008年9月1日月曜日

赤壁



赤壁という映画をGが見たという。
赤壁の戦いとは、三国志の中の一番有名な戦いです。
映画のトレイラーを見るにつけ、だんだん見たくなってきました。



ワタクシ、実は高校時代に三国志にはまった経験があります。

高校2年生の時、世界史の先生が、
「三国志はどんなにおもしれーですかいな。」と、
目を輝かせながら彼が住んでいる地域の方言丸出しで言ったのです。
(訳:三国志はどんなに面白いことか!)

ふーん、そんなに面白いんだ。。。

興味を持った私は、図書館で吉川英治の書いた分厚い『三国志』全3巻を借りてきて
夏休みに一気読みした覚えがあります。
ほんと、面白かった。
先生が言ったとおりでした。
それからしばらく私の頭のなかは三国志一色になったのでした。

この映画、日本上映は11月みたいです。
中国ではすでに7月から公開されているというのに!
金城武が孔明を、トニー・レオンが周瑜を演じてます。
曹操役の俳優の名前はわかりませんが、見たことある人です。
悪そうなところが、いかにも適役という感じです。
「中国も経済発展してお金ができたからこんな映画がつくれるようになったんだな。」と、G。
大きくて凝ったセットと大人数の戦いのシーンなど
かなりスケールが大きな作品のようです。

秋の楽しみがひとつ増えました。

2008年8月29日金曜日

小さな勝利


I won a victory over someone.

2008年8月27日水曜日

つらい時。。。



苦労したことはずっと多く、牢屋に入れられたこともずっと多く、
打たれたことは比べられないほどに多く、
死の危険にさらされたこともたびたびでした。
ユダヤ人から「39回打ち」を受けたことが5度、
ローマ兵から鞭打たれたことが3度、
石を投げつけられたことが1度、難船したことが3度、
外海で一昼夜漂流したこともありました。

しばしば旅をし、川の難、強盗の難、
同朋からの難、異邦人からの難、
街での難、荒れのでの難、海での難、
偽兄弟からの難に遭い、苦労に苦労を重ね、たびたび眠らずにすごし、
ひもじい思いをしたり、のどが渇いたり、しばしば食べずにいたり、
寒さに凍え、裸でいたこともありました。

これに加えていろいろな事があった上に、日々わたしに降りかかる心配事、
あらゆる地方の教会に対する気苦労があります。

もしも誇る必要があるとすれば、わたしは自分の弱さからくることを誇ります。

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つらい気持ちや怒りを持て余すとき、
聖書に書かれたパウロの苦労を思い出し、
彼に比べたら、私のおかれた状況など大したことではないと思ったりする。
そして、少し高い所から、いっぱいいっぱいになった自分を見下ろして笑うのである。

2008年8月24日日曜日

オリンピック閉幕とワタシ・リニューアル

うぉーーーーっ、びっくりした。

何がって?

今、ジミー・ペイジ翁がオリンピックの閉会式で
LED ZEPPELINのWhole Lotta Loveを弾いてるじゃあありませんか。

それに、ベッカムまでててきたよ。

オリンピックの会場を北京からロンドンに引き渡すって場面で
サッカーボールをグランド内に投げ入れただけでしたけど。
ええ、ただそれだけの役割でした。
ボールをキャッチした中国人の男性は興奮していました。
やっぱり世界のベッカムが投げたサッカーボールですから。

ベッカムと言えば、昨年からLAギャラクシーでプレイしておりますが、
昨年の7月に出張でLAに行かせてもらった時
ちょうど、彼のLAギャラクシーでのデビュー戦がLAであって
観に行きたかったのですが、なにせ人気の試合のためチケットを取るのは無理でした。
イギリスからわざわざ彼のLAデビュー戦のためにチェルシーが来てたという記憶が。。。
少し記憶があいまいで、すみません。

話はオリンピックに戻って。。。

オリンピックが始まる前は、あんまり興味がなかったんですけど
やっぱり始まってみると、ついつい見ちゃいました。
各選手のがんばりと、勝利の笑顔や涙を見ていて
熱いものがこみ上げ私まで泣いちゃったりしました。
ほんとに感動をありがとう!!って言いたいです。

国で一番になってオリンピックに出るだけでも大変なことなのに
各国の強豪と戦って、そしてプレッシャーという魔物とも闘って
メダルを取るってほんとにすごいことですよね。

それに引き替え、私ったら、仕事から帰ると疲れてすぐに寝ちゃって
何にもせずに、何も考えずにここ一年過ごしてきました。
疲れて何もできないとか、時間がないとか言い訳してきました。
選手たちのがんばりにはとても及ばないけど
私も少しだけ自分の『リニューアル』を開始しました。

何かを毎日やります。
コツコツ毎日やることに意味があるのです。
ここでは恥ずかしいので具体的に何をするかは書きませんが
数ヶ月後、一年後、二年後に少しでもなりたい自分になれるようがんばるつもりです。

選手の皆さん、爽やかな感動をありがとう!!

2008年8月23日土曜日

Russian Invasion



大国が理由をつけて近隣の小国を侵略する。
1968年にソ連がチェコスロバキアを侵攻した歴史を思い出しました。
ロシアが即座にグルジアから撤退しますように。

2008年8月19日火曜日

ユーザー・プロファイル・サービスって?!(そのいち)

先日、会社から帰宅してパソコンを起動させて
いつものようにユーザーパスワードをタイプした。
すると、

「ユーザー・プロファイル・サービスが読み込めませんでした。」との

メッセージが出てログオンできなかった。

あれっ?
もしかして、パスワードを間違えちゃったかな?
もう一回やってみよう。

で、また、パスワードを入力した。
ところが、またもや、同じメッセージが出てログオンできないのだった。
むきになって、そのあと、3回も同じことを繰り返した。
でも、何度やってもログオンできないことに変わりはなかった。

試しに、間違ったパスワードを入力してみた。
すると、「パスワードが間違っています。」とのメッセージがでた。
ということは、私が入力し続けたパスワードは間違っておらず
ただ単にログオンできないだけなのだった。。。

いったい全体、何が私のパソコンに起こったのだろう。
前日の夜は何の問題もなく使えていたというのに。
頭の中はパニック状態である。
もちろん、パスワードはおろか設定を変更した覚えはない。
また、一人暮らしの私のパソコンを私以外の人が使うことはない。

悪いことに、私はユーザーアカウントをひとつしか登録しておらず
その唯一のユーザーアカウントにログオンできないということは、
パソコンを全く使うことができないことを意味した。
このパソコンの症状をインターネットで検索して調べることさえできない。

パソコンもログオンできなきゃただのモノ。(川柳?)

(続く)


"Duchess" by the Stranglers

2008年8月12日火曜日

吟遊詩人ビードルの物語

10日ほど前のことになるが、伊勢丹に行ったら
2階のエスカレターを登った所に
何やらひっそりと展示があった。

よく見ると、『吟遊詩人ビードルの物語展示公開』とあるではないか。
小さなガラスケースの中に小さな本が展示されている。
そのガラスケースの傍には警備員のおじさんが一人立っている。

『吟遊詩人ビードルの物語』(〝The Tales of Beedle the Bard”)とは、
ハリーポッターの作者のJ.K.ローリングが手書きで書いた
この世にたった7冊しかない童話のことである。
物語だけでなく、イラストも彼女が描いている。

7冊のうち、6冊は彼女が誰かにあげてしまって
残りの1冊がサザビーズでオークションにかけられ、
約4億5千万円で Amazon.com が落札したのである。

まさか、こんな処に本物があるわけない。
でも、本物じゃないなら、警備員は要らないか?
なんて、いろいろ思いつつ、警備員のおじさんに訊いてみた。

「これって、まさか、本物じゃないですよね?」

もう最初から否定疑問文である。

「いえ、本物ですよ。」

「ええ~、すごい~!!」

興奮して友達にこの本の説明をする私。

本は閉じられた状態で展示してあった。
表紙には銀の骸骨の美しい装飾が施されている。
骸骨の目や四辺にあるモチーフにはムーンストーンが埋め込まれている。

中身こそ見られなかったものの、本物が見られて貴重な体験だった。
奇遇にも、その前夜、私はこの本を(もちろんコピー)を
Amazonで購入予約したところだったのだ。
その数日後にはこの本は日本から離れるという絶妙のタイミング。
まるで、魔法で本が私を呼び寄せたみたいだった。

写真撮影は禁止されていたため、
以下はAmazon.co.jp に掲載されている写真。





2008年8月1日金曜日

ハリー・ポッター第6作映画のトレーラー



ハリー・ポッター第6作、“Harry Potter and and the Half-Blood Prince” の
トレーラー(予告編)が発表されました。
ハリー・ポッターマニア、もとい、ハリー・ポッター好きの私としては、
早く見たくて仕方がありません。

第6作では、とんでもないことが起きます。
私の大好きな登場人物がしんでしまうんです。
ありえないっ。
本読んでいない方のために、誰かは言いませんけど。

ところで、第7作の映画化はなんと、
2分割する話が浮上しているそうな。
そりゃあ映画会社は儲かりますよね。

あ~~~、いつ公開されるんでしょう?
早く見たいっ!!

2008年7月27日日曜日

年に一度の。。。(パート4)

M医師は水を注射器で抜いた後、エコーの画面を見せながら言った。

「ほら、もう何もないでしょう。」

見ると、画面に白く映っていた塊はもうなかった。
M医師によると、悪性の腫瘍の場合、
エコーで見ると、黒く映るものらしい。

膝に水がたまるというのは聞いたことがあるが
胸に水が溜まるなんて聞いたことがない。
本当に変わったことが起きるものである。

「念のため、内容物を検査します。
 一ヶ月後に検査結果を聞きに来てください。」

そして、一ヶ月後に再び病院を訪ねると
M医師は特に問題はないといった。

よくわからないが、
クラス2という段階で、問題のないレベルらしい。
もしもこれがクラス1だったら問題なのだそうだ。
よくわからないのだから質問すればいいものを、
M医師の前では、すっかり借りてきた猫になってしまう私であった。
悪い結果でなかったのだから、ま、いいか。。。

「ほらね、僕が言ったとおりだっただろ?」と、少し得意げに言うGだった。


今後は年に一回、マンモグラフィーを受けることになった。
こうして、一年前に予約を入れられたのである。
それが、奇しくもなぜか今年の七夕なのだった。

喉もと過ぎれば熱さ忘れるというが、
私はすっかりマンモグラフィーの痛さを忘れていた。
胸を挟まれたとき、あまりの痛さに痛すぎて声が出なかった。
検査技師の、痛かったら言ってくださいね、との言葉に、
「いた、いた、いたいです。。。」とかすれるような声でようやく言った。
だが、ぎゅっと挟んだまま緩めてくれる様子がなかった。

「私を殺す気か~~~!!!」(←心の叫び)

マンモグラフィー後、M医師とお会いした。
今回はレントゲン写真に何の影も映っていなかった。
その後、M医師による胸の触診を受け、帰路についた。
次は、また来年の七夕の予定である。

翌日、鏡で胸を見ると、数か所あざが残っていた。
あれは、まさに拷問である。
昔の拷問ってああいうのもあったかもしれない、そう思った。
胸を挟まなくてもいいマンモグラフィーが開発されたらいいな。

(終わり)


"Where have you been tonight?" by Shed Seven

2008年7月24日木曜日

年に一度の。。。(パート3)

上半身裸になるように言われ、ベッドに横たわる。
看護師や例の若い研修医もベッドの周りに控えていて
一瞬恥ずかしく感じるが、もはやそれどころではない。
M医師は計りでしこりの大きさを測定して看護師に記録させる。
その数字を聞きながら、生きた心地がしない私。

「では、エコーで見てみましょう。」

M医師はそう言うと、私の左胸にゼリー状の物体を塗り
エコーのカメラ(?)をその上にあてがった。

その瞬間、

「あー、これは水ですね。」と、M医師。

「え? み、水ですか?」

「Sさん、よかったですね。これは悪いものではないですよ。」

それまで、緊張していた医師の声が一瞬にしてやわらかいものになった。

「じゃ、今から麻酔をかけて、注射器で水をぬきます。」

M医師はそう言うと、胸の下辺りに麻酔注射を打った。
チクリと痛みが走る。
その直後に、注射器を同じ辺りに射して水を抜き取ったようだった。
ようだったというのは、麻酔が効いていたため、
注射針を刺された感覚がなかったのと、
小心者ゆえ眼を開けて一部始終を見届ける勇気がなかったのである。

エコーから、水抜きまで、所要時間、約7~8分。
本当にあっという間の出来事だった。

(続く)


"Speakeasy" by Shed Seven

2008年7月18日金曜日

年に一度の。。。(パート2)

病院に到着すると、
まず、生まれて初めてマンモグラフィーを受けた。
ご存じのない人のために書くと、
マンモグラフィーとは乳腺・乳房専用のレントゲン撮影のことである。
かなり痛いと話には聞いていたが、
その痛さは半端じゃなかった。
まさに飛び上がるような痛さであった。

まず、胸を上から板のようなもので挟んで1枚。
さらに今度は横から挟んで1枚。
こうして左右計4枚のレントゲンを撮るのである。
挟むと云うと生易しく聞こえるが、
実際は、立体的な胸をペチャンコになるまでグイグイと押しつぶすのである。

レントゲン写真が出来上がると
その写真を持たされ、2階の診察室の前で待った。
かなり待たされた後、若い研修医による問診があった。
その後、またしばらく待って
ようやく診察室の内部に招きいれられた。

「今日はどうしました?」と、M医師。

「左胸にしこりのようなものがあるんです。」

医者は封筒の中からレントゲン写真を取り出して一瞥する。

「かなり大きなしこりですね。いつからありますか?」

急に彼の声が深刻なトーンへと変わった。

私は医師の真剣な声に少しびびりながら答える。

「3~4週間前です。」

M医師は口に出しては言わないものの、
これが癌だったら、もう手遅れの大きさなのに違いない。
彼の真剣な声はそのことを暗示しているようだった。

(続く)



"Whatever" by Oasis

2008年7月13日日曜日

年に一度の。。。

少し前のことになりますが、
7月7日はご存じのとおり七夕でした。
織姫と彦星が年に一度会えるっていう
ロマンティックな日です。

かく言う私も愛する彼との逢瀬。。。
と言いたいところですが
会社を休んで向かった先は病院でした。

ええ、

あれは忘れもしない昨年の5月のこと。
朝ベッドの中でまどろみながら
寝返りを打ってうつぶせになった時
左胸に何か異物感を感じたのでした。

あれっ? なんだか胸にしこりがある様な気がする。。。
気のせい、気のせい。。。

そうして、しこりのことを考えまいとして
1か月以上が経ったころ
例のしこりが急に大きくなってきたのでした。
しこりが胸を圧迫して痛みを覚えるようになったのです。

まさか私に限って乳がんになるはずはない、
そう自分に言い聞かせながらも
どんどん不安になっていったのです。
その時、今は亡き父は癌で入院していたし
私までが癌だったらと思うと
途方にくれました。

「私、乳がんかもしれん。」と、
半泣きでGに言うと、
「そんな馬鹿な。君が乳がんのわけないよ。」と
何の根拠もなく言うGでした。
私を安心させようとしてそう言ったのか
本気でそう思ったのかわからないけれど。

私は病院に行くことに決め
インターネットで病院を探したのでした。

そして出てきたのは乳がん治療では府下で一番といわれる病院でした。

(続く)


"Strange Little Girl" by the Stranglers (ちなみに本文とは無関係です。)

2008年7月5日土曜日

さるこじ ふらんす大統領 

あなたは外国の家庭を訪問する。
その家の人があなたを歓迎して
その国の自慢料理を何種類も心をこめて用意してくれている。
その心づくしのご馳走を目の前にして、
あなたは冷酷にも言い放つ。

「僕、オムレツが食べたいんです。
 オムレツを作ってください。」

「・・・・・」

こんな失礼なこと言う人がこの世に居るなんて想像もつきませんよね?
でも、実際に言った人がいるんです。
それは。。。

フランスのサルコジ大統領です。

サルコジ大統領が欧州委員会に出席するため
スロベニアを訪れたときのこと。
開催国のスロべニアは各国首脳をもてなすため
お国自慢の料理を作って晩餐会を開いたとき、
彼は上記のセリフを言ったそうなのです。

(注:上記の逸話は春具(はるえれ)さんといってオランダ、ハーグにある
国連の化学兵器禁止機関(OPCW)勤務されている方が出しておられる
『オランダ・ハーグより』というメールマガジンに書かれておりました。)

また或る時は、農業関係の席に出席した時、
沿道に並んでいた群衆のひとりがサルコジの差し出す握手を拒んで言った。
「俺に触るな、手が汚れる。」
すると、サルコジ大統領はすぐに言い返したのです。

「じゃあ、失せろ、この貧乏人!」

どこの国の大統領でも自国の国民に上記のような
暴言は、思っていても、なかなか吐けませんよね。



イギリスのニュースでは(確かBBC)、
貧乏人ってところが 単にidiot と訳されていましたが
彼が言ったのは、pauvre con なのです。
pauvre とは、“貧乏な”という形容詞で
con は、“馬鹿野郎”という意味です。
こんなことを福田首相が言ったとしたら、大問題になりますよね。
フランス国民は懐が深いというか。。。

極めつけは、昨年のG8サミットのときのこと。
彼はロシアのプーチン大統領と2者会談を行った後
記者会見に応じたのですが、
見るからに酔っ払っていて、
何を話したかという記者からの質問に対し
「極めて重要な話をした」と言いつつ、
内容のないことをぺらぺらしゃべるだけで
結局のところ、2人はただ酒を飲んでただけだってことが露呈したのでした。
ええ、もちろん、フランス国民には会談中は『水』を飲んだと云っております。

記者会見の模様


上記のような、人間的な話題に事欠かないサルコジ大統領を
なんだか、変な意味で、注目してしまう私です。

今回のG8サミットには、奥様のカーラさんは
なにやら、自分のCD発売の準備のために来れないようで少し残念です。
(そんなん、ありか?)

でも、サルコジ大統領にとって、もっと残念なのは
飲み友達(?)のプーチンに会えないことでしょうか???

2008年6月29日日曜日

とうとう決勝


なんだか、肝臓のあたりがだるい気がする。
はっきり言って、二日酔いです。
NさんにMちゃんったら、相変わらず酒豪でいらっしゃる。
とても太刀打ちできません。
てか、そもそも太刀打ちしようなんて気はありませんが。。。
話に出たラ・リビエール、その内に行きたいものです。

さてさて、

今夜は、とうとうEuro 2008の決勝戦です。

『無敵艦隊』スペインとドイツが戦います。

親友のTはドイツのバラックを愛しているので
大きな声では言えませんが、
私はスペインが優勝すればいいなと思っています。
(言っちゃった。。。)

という訳で、今日は篤姫観終ったら就寝の予定です。
で、また朝の3時半に起きます。

きっと、いい試合になることでしょう。
楽しみです。

2008年6月23日月曜日

負け惜しみではなく。。。


はああああああ~~~

今朝、イタリアはスペインに準々決勝で負けてしまいました。

悲しい。。。(泣)

でもなぜか負けた気がしないのです。
試合内容のせいでしょうか。

0-0で延長戦にもつれこみ、延長でも点が入らず、
結局PK戦で勝敗が決まりましたが、
PK戦なんてある意味、宝くじみたいなもんだし、
とりあえず、どちらのチームが次に進むか
決めなきゃならないため、
便宜上行っているようなもんで。。。ブツブツ。。。


しっかし、PKを外したデ・ロッシ。
蹴る前からすっごく緊張した面持ちで、
その表情を見た瞬間、あ、彼は外すな。。。と思ったら
案の定そうなってしまいました。
それに引き替え、カモラネージュのポーカーフェイスは見事でした。
まるで、ルーティーンを黙々とこなすかのような感じでした。

ところで、スペインはそれまで予選リーグで3連勝しており
かなり自信を持って挑んだイタリア戦だったようですが
イタリアはスペインの攻撃をその素晴らしいディフェンスで
完全に封じたのでした。

イタリアは伝統的に守りが強いのが特徴で
イタリアのディフェンスはカテナッチオ″と呼ばれています。
これはイタリア語で鍵を意味し、
守りで鍵をかけて相手の攻撃を封じ込めるという意味です。

しかし、いくらディフェンスが素晴らしくても
得点しなければ勝利もないわけで。。。
やっぱり、トニの調子がいまいちだったのと
ピルロが試合に出られなかったのは大きな痛手でした。




←スタジオから観戦するピルロとガットゥーゾ




試合中からずっとスペインを応援していたG。
スペインが勝って大喜びしておりましたが
私が泣いていると、
「イタリアが負けて残念だったね。」と
最後には気遣いをみせておりました。

イタリアは負けてしまったけど
やっぱりサッカーはいいですね~。
決勝はまた朝3時半に起きてみるぞ!

2008年6月22日日曜日

アズーリ決勝トーナメント進出




イタリアチームはなんとか予選最終戦でフランスに勝ち
決勝トーナメントに進むことができました。

仮眠して3時半に目覚める予定が
ふと気がつけば4時過ぎてて焦りました。
テレビをつけると、すでにイタリアは1-0と
リードしておりました。

リプレイを見てみると、ピルロがPK決めていたんですね。
さすがピルロ、素晴らしいPKでした。
後はデ・ロッシのフリーキックで1点追加し、
2-0で勝利しました。(祝)

嬉しいっ!!

そりゃ、無条件にうれしいですよ、イタリアが勝つのは。
でも、何なんでしょう。
何か物足りないのです。
エースストライカーのトニはいまだに得点していないし、
2点とったと云っても、
その内容がペナルティキックとフリーキックというのは
相手チームを圧倒して勝利したのとは少し違います。

次は準々決勝で、強豪スペインと対戦します。
チームの勝利の鍵を握るピルロが通算イエローカード2枚を
貰ってしまったため、欠場します。
アズーリ、大ピンチです。
今度こそトニにゴールを決めて欲しいものです。

ところで、アズーリとは、サッカーに興味がない人には
ピンとこないかもしれませんが、
イタリアチームのニックネームです。
彼らは伝統的に地中海を思わせる、青い色(Azzurri)の
ユニフォームを着ているからです。
この色は1860年に統一されたイタリアの象徴なんだとか。

そういえば、死のグループCを余裕で全勝したオランダが
なんと、決勝トーナメントでロシアにあっさりと負けてしまいました。
今回、オランダは絶好調だったため、Euro2008を征するのは
オランダではないかと思っていただけに、大いに驚きました。
ロシアといえば、現在の監督はかの有名なヒディングなんですよ。
すごい監督だなぁとしみじみ感心してしまいます。
絶対に結果を出す人ですよね。
ロナルドのいるポルトガルもドイツに負けてしまったし。。。
まったく何が起こるかわからないEuro 2008、
一体どこのチームが優勝するのでしょう。
予断を許しません。

アズーリの試合はまたまた明日の3時半からです。
今日も早めに就寝して、3時半に起きるつもりです。

Forza Azzurri!!!

2008年6月17日火曜日

前世と現世と


金曜日(正確には土曜日)は、スポーツバーに行って
イタリア対ルーマニア戦を観戦してきました。

そこへ試合直前にどやどやどやっと集まってきたのがイタリア人の皆さん。
1ダースほどいて驚きました。
京都にこんなにイタリア人がいるなんて!
彼らはどうやら留学生のようでした。

イタリアの国家が流れると、彼らは大声で
曲に合わせて歌いだし、すごい迫力でした。
私、歌詞付きのイタリアの国家を初めて聞きましたよ。ほんと。

試合中はルーマニアの選手をイタリア語で罵倒しつづけ
うるさいのなんのって。
mourir(フランス語では死ぬを意味する)に似た言葉を使っていたので
おそらく「ルーマニアよ、くたばれ」みたいなことを言っていたのではないかと思います。
フランス語もイタリア語も同じラテン系の言葉なのでなんとなくわかるのです。
ま、酒も入っているし大騒ぎでしたよ。

彼らのうちの何人かが、私が着ていたT-シャツを見て
いいTシャツだと言ってくれました。
〝Campioni del Monde” 
世界チャンピオンって書いてあるもので
先のワールドカップでイタリアが優勝した後にNYで買ったものです。

して、試合の結果は、

1-1の同点でした。はぁー。

唯一目立ったのはGKのブッフォンのファインセーブの数々。。。
結局、グループCでは最下位のままで順位変わらず。。。

今夜のグループC の2試合の結果でイタリアの運命決まります。
夜中の3時35分からのイタリア対フランス戦は見逃せません。
てことで、もうすぐ仮眠に入ります。


そんな訳で、前世でイタリア人だった私と、
現世でイタリア人に生まれた皆さんが
同じ所でわいわいとイタリア戦を観戦したのでした。

2008年6月11日水曜日

まさかの惨敗


まさか、
まさか負けるとは思いませんでした。
オランダに3-0で負けるなんて。。。
さんたいれいって、

それは、はっきり言って、、、

惨敗でしょ!!

死のグループC、まだまだ波瀾が起こりそうな予感。

それにしても、ルーマニアはフランスに対して
引き分けましたが、なかなか良く頑張りましたね。

そういえば、今回のイタリア代表チームには
G 似のインザーギは呼ばれなかったみたいで
ちょっと残念。。。

イタリアよ、次は勝ってくれ!

FORZA ITALIA!!

2008年6月9日月曜日

ドキドキする。。。

なんだかソワソワする。

考えるだけで心臓の鼓動が少し早くなるような気がする。
あああ~~~

どうしよう!!!

てか、どうしようもないけれど、
居てもたってもいられない感じ。

何が?って
そりゃあ、皆さん、

EURO 2008でしょ。

前世がイタリア人のせいか(自称。。。)
イタリア戦には燃えます。メラメラ。。。

これがワールドカップだったら、
ソワソワもこの程度ではありません。
まさしく熱狂します。

今週末はイタリアVSルーマニア戦を
スポーツバーで観戦します。
土曜日仕事の友達に無理やりつきあってもらうつもりです。
(てか、いいのか?!)


それにしても、
カンナバロ!!!(泣)
練習中に左くるぶしを負傷してしまい
ユーロ2008の出場が不可能になってしまいました。

「君たちには、もう2年、俺につきあってもらわなければならなくなるよ。
 この負傷は俺にとって最高のレベルに戻るための挑戦だ。
 ユーロのあと、代表からの引退を考えていたけど
 今では2010年のワールドカップに出場するつもりだ。
 俺のキャリアに不安はないよ。」

負傷後のカンナバロの発言。(訳=私、ソース=www.fifa.com)

う~~~泣けるじゃありませんか。
キャプテンで守りの要の彼が出場できないのは
イタリアチームにとって大きな痛手です。
でも、この苦境を乗り切ってイタリアには優勝してほしい。

では元気な時のカンナバロの素晴らしいプレーの数々を
何故かオアシスの音楽にのせてどうぞ!


Forza Italia!!(がんばれイタリア!)
頼む、優勝して~~~!!!

2008年6月8日日曜日

Always the Sun (by the Stranglers)



I have been a big fan of the Stranglers for many years - more than 20 years. This song, Always the Sun, is one of their best hits in the 80s. I have translated the lyrics into Japanese so that Japanese readers can understand the meanings of the song. Sounds a bit serious? That's what they sometimes are. Anyway, have fun!

Always The Sun / the Stranglers (歌詞拙訳:Sait-Ex=私)

目が覚めて雨が降っていますようにと何度祈ったことがある?
新聞が責任をなすりつけているのを何度みた?
誰が発言権を持ち、誰が仕事を得、そして誰が遊んでいるのか?
俺はすべての人が公平だといつも学校で教えられた。

求めなければ得られないと何度言われた?
君のお母さんが賭け事をするなと言うのに
何度ウソつきが君のお金をかすめ取った?
お楽しみなのは、いつも銃をもった奴なのかい?
彼は誰かに働きすぎると汗をかくと言われたのかもしれない。

いつも太陽がある
いつもそこには太陽がある

天気予報の男のする話が何度君を失笑させたことだろう?
君が物事を中途半端に行うとき、
政治家や指導者のようだと思ったことだろう。
誰がドアを押す仕事をするのか?
君が十分に狂っていたら
君が引き当てるのはその種の責任なんだ。

いつも太陽がある
いつもそこには太陽がある

How many times have you woken up and prayed for the rain?
How many times have you seen the papers apportion the blame?
Who gets to say, who gets the work and gets to play?
I was always told at school, everybody should get the same

How many times have you been told, if you don't ask you don't get?
How many liars have taken your money, your mother said you shouldn't
bet?
Who has the fun, is it always the man with the gun?
Someone must have told him, if you work too hard you can sweat

There's always the sun
There's always the sun
Always, always, always the sun

How many times have the weathermen told you stories that made you laugh?
Y'know it's not unlike the politician and the leaders when they do
things by half
Who gets the job, of pushing the knob
That sort of responsibility you draw straws for, if you're mad enough

There's always the sun
There's always the sun
Always, always, always the sun

2008年6月1日日曜日

Soulsec (イギリスのバンド)


"Postcard" by Soulsec

2年前のこと。
The Stranglers のボーカルを務めていたPaul Robertsがバンドから脱退した。
彼のファンというだけでなく、個人的に彼を知っている私には
彼の脱退はかなりショックなニュースだった。

PaulがThe Stranglersに加入したのは
16年間バンドのボーカル兼ギターを担当してきた
Hugh Cornwellがバンドを去った後のことだった。
Hughという人の大きな影響力やスタイルの違いに
悩まされたこともあったかもしれないが、
Paulは後釜として立派に大役をこなしたと思う。

彼はThe Stranglersに在籍している時より自らのバンドをもっていた。
バンド名はFaith band から、現在はSoulsecと変わったものの
The Stranglersとは一味違った、Paul独自の音楽性があらわれていた。

私は彼のバンドが成功することを心から祈っている。
しかし、大手レコード会社との契約に失敗したため
独自のレーベルでSoulsecのウエブサイト上でCDを販売している。
そんなやり方ではセールスは伸びないことは目に見えている。
なにかいい方法がないものか。。。

Soulsec のウエブサイトとMy Spaceのサイトで
Soulsec の最新のアルバムから数曲が試聴できます。
是非試しに聴いてみてください。
Soulsec Official Website
My Space/Soulsec

頑張れ、Paul
いつも応援してるからね~!!!

2008年3月1日土曜日

スンドゥブ(男?)


今年の冬は男前豆腐店が発売した『純豆腐男』(スンドゥブオ)のお陰で、家に居ながらにして、美味しいスンドゥブを食べることができた。
スンドゥブとは韓国の豆腐チゲのことである。

私がNYに住んでいた時、アパートの数ブロック先にスンドゥブ屋があり、時折辛いものが食べたくなると、食べに行ったものである。
メニューは数種類のスンドゥブと焼肉、焼きイカ、チジミなど合わせて約13種類の料理しかなく単純明快だった。

ウェイターは皆コリアンだったが、ガラス張りの厨房に目を向けると、
そこに働いているのは不思議なことになぜか中南米出身者ばかりだった。
しかし、本物のスンドゥブの味を知るコリアンが
客層の80%を占めているということは
メキシカンが料理していたとはいうものの
そこのスンドゥブはかなり美味しかったにちがいない。

私はいつもマイルド(辛さ控え目)と言って注文していたけれど、
それでもかなり辛く感じた。
しかし、大量の水を飲みながら食べるスンドゥブは、とても美味しかった。
ある日、一緒にこの店に行った友人V はベリー・スパイシー(極辛)と
注文していたけど、どんな味だったのだろう。
ウマいと絶賛していたけれど。

して、くだんの豆腐会社の純豆腐男のお味であるが、
日本人向けにかなりマイルドになっているが、とても美味しい。
ベリー・スパイシー好きの V には物足りないかもしれないけれど。

2008年2月17日日曜日

冬に熱いもの、それはアイスホッケー  Let's go NY Rangers!


現在の私は、K市という地方都市から約1時間離れた所に住んでいる。
もともと田舎の出身の私であるが、
以前、NY市の外れに住んでいたことがあり
大都市の生活を懐かしく思うことがある。

メトロポリタン・ミュージアム、MOMAなど美術館。
世界各国のレストラン。
大リーグやアイスホッケー(NHL)などのプロスポーツ。
街角に必ずある、ピザ屋さえも、今となっては懐かしい。

アメリカの大学に行ってから、アイスホッケーの魅力に目覚めた。
NY市に住み始めてからは、NYレンジャースのファンになって
レンジャースの本拠地、マディソン・スクエア・ガーデンに
何度か試合を見に行った。

ある休日のこと、暇だった私はプレイオフのチケットを求めて
マディソン・スクエア・ガーデンにぶらりと行ってみた。
その日は数時間後に試合が行われる予定だったが、
私はむしろ後日のためにチケットが欲しかったのだ。

だが、チケット売りのおっちゃんは言った。
「今日、もしもレンジャースが勝たなかったら
これがレンジャースにとって、今シーズン最後の試合になるよ。」
それは困る。
その日を逃したら、半年間レンジャースの試合を見られない可能性があるのだ。
「じゃ、今日の試合のチケットをください。」

チケットは、値段の高い席しか残っていなかった。
その中でも安くて、なるべくアリーナがよく見えそうな席を選んだ。
$100也。
普段は$50未満の席で見ていたから、ちょっと高いと思ったが仕方がない。
最後の試合を逃したら、もっと後悔するにちがいない。
いや、勝つ。絶対、勝つにきまってる。

結局、レンジャースは負けてしまい、その試合は奇しくも
レンジャースにとってシーズン最後の試合になった。
そして、その年に帰国するはめになるとは夢にも思っていなかった私にとって
それが最後のアイスホッケーの試合となった。
本当は、次のシーズンには、シーズンチケットでも購入して
頻繁にマディソン・スクエア・ガーデンに行こうと決めていたのに。

このところ、レンジャースの動向をチェックしていなかったが、
相変わらず、チェコ出身のJagr選手や、イケメンのゴーリー、
Lundqvist選手など活躍しているようだ。
中には、チームを去った選手もあり、少しさみしい。
Lundqvist選手はなんとレンジャースと6年間の契約を結んだそうだ。
いつか、6年以内に、またNY市でホッケーを見よう。
そう、思った。



お気に入りのレンジャースのニット帽。寒い日にはときどき被る。
Let's go Rangers!

2008年2月4日月曜日

イギリスのドラマ



最近、テレビをつけても面白い番組が見当たらないので、インターネットでヤフー動画を見ている。

私がはまったのは、イギリスBBC制作の『カップリング』。
このドラマのテーマはセックス。
でも、すこしもいやらしくない。
それどころか、すごく笑えるコメディになっている。
どのキャラクターも面白いが、特にジェフが最高。
最初の1話は無料なので、試しに見てみて笑ってください。

日曜日、だらだらと見てしまったのが、同じく
BBC制作の『マンチェスター・ラプソディ』、
てか、本当のタイトルは〝Cutting it”なのに
どうして、そんな邦題になってしまうのか?
思わず立て続けに見てしまったが
出てくる登場人物の信じられない行動と
人間として最低なキャラクターのオンパレードに
頭がおかしくなりそうになって、シーズン2の途中で見るのを止めた。

あと、無料の1話しか見ていないけど『バーナビー警部』は面白かった。
イギリスの村が舞台である。
この村がまるでコッツウォルズみたいに、とても美しいところなのだ。
なかなか良く練られたストーリー。
さすがに、コナン・ドイルやアガサ・クリスティを生んだ国だけあるなと感心しました。
それに、バーナビー警部のキャラクターと
彼の英語のアクセントが、個人的にとても好きです。
試しに見てみてください。

2008年1月27日日曜日

ダブリンのベッキー(8才)



Gが面白いYouTubeを教えてくれた。

8歳のアイルランド、ダブリン市に住むベッキーが建物解体業者に電話をし
自分が通う学校を解体してくれと頼む。

「あなたに私の学校を破壊してもらいたいのです。」

そして、解体会社のトップを電話に呼び出す。

彼に、建物を吹き飛ばす(爆破する)のと、解体するのとどっちがいい?と聞かれ、

「吹き飛ばすほうがいいです。その時には、先生たちが必ず建物の中にいるのを確認してください。彼らは誰にも好かれていないのですから。」と答える。

「それで、コストはどれくらいかかるんですか?」

電話の向こうでバカ受けしている大人たちの声を聞いて

「あなたの会社は解体会社なのかジョーク生産会社かどっちなの?」とキッパリ釘を刺す。

「後で、学校の平面図と教師の名前のリストをファックスで送ります。」

ひとつひとつの発言がすごく面白い。

大人がやらせているのかなとも思うが、間の取り方といい、そうとは思えない自然な会話である。

こういうアナーキーな(死語?)女の子が本当にいてもおもしろいなと思うわけで。。。

2008年1月26日土曜日

頂き物


数週間前、同じ会社に勤めるIさんが何かを一生懸命、荷造りしていた。
話を聞くと、中身はIさん手作りの肉まんだった。
「昨日は日本に住む友達のために150個の肉まん作ったのよ。朝から夜までかかったわ。」

肉まんを150個!!!

Iさんは中国人である。
日本人のご主人と知り合って現在は日本で暮らしているのである。
すごい!肉まんを150個も手作りするなんてすごい!!と、連発する私に
「今度、作った時には持ってきてあげるか
らね。」と約束してくれた。

先週、彼女は約束通り、手作りの肉まんを持ってきてくれた。
とっても美味しかっのだたが、それ以上に、
手作りのあったかさが心にしみた。
ありがとう、Iさん。

ほんの数日前、別のIさんからジャムを頂いた。
なんと、そのうちの1個はチェリーのジャムだって。
さっそくいただきました。
とっても美味しかったです。


それから、足利市出身の上司、Kさんから、足利名物のお菓子をいただきました。
これが最後の1個です。
最中の皮の中に餡がいっぱい詰まっていて、
さらにその餡が絶妙の甘さでとっても満足しました。



最後に、上司のAさんから見たこともないような巨大な大根をいただきました。
(こちら写真なし。)
3回炊いて、まだ食べきれていません。
とてもみずみずしくておいしかったです。

皆さん、ありがとうございました。
わたくし、頂き物大好きです。
また、よろしくお願いいたします。

2008年1月24日木曜日

悔しい


I feel so defeated today. What should I do next?

2008年1月18日金曜日

Heaven or Hell? (その2)


重要なことって一体全体、何なのだろう?
私は、その占い師が言おうとしている内容と、知らない人に電話することの両方にどきどきしながら電話をかけた。

電話に出たその占い師は、東北に在住の40~50代と思われる男性だった。
「もうすぐ結婚予定日ですが、いかがですか?」
「結婚の予定はありません。おつきあいしている男性もいません。」
「もっと早く私に連絡していたら、予定日に結婚できたんですよ。」
「え?」

彼によると、私の背後に男性運を悪くしている何かがいて(霊?)、それを取り去らないことには私の男性運は良くならないそうだ。
彼には特別な霊的能力があり、東北と近畿と離れていても
遠隔操作で私の霊障(?)を取り除くことができるそうだ。

「あなたのために、特別にお祓いをやってあげましょう。
 でも、それはとても体力を消耗する大変な作業なんです。」
「ちなみに、おいくらでやってくれるんですか?」
「特別に11万円でやってあげましょう。」
「じゅ、じゅういちまんえん?」
「高いと思われるかもしれませんが、お祓いを明日にでも
 行いますから、そのあとは一生あなたの男性運は良くなるんです。」

「11万円なんて、高すぎます。そんなお金はありません。」
「そうでしょう。私にはそれが見えます。」
実際、11万円くらいの貯えはあったのだが、とりあえず無いと言ってみたのだ。
「じゃあ、毎月1万円ずつ分割で払ってくれてもいいですよ。」

私の心は揺れ動いていた。

明日から、一生、男性運が良くなるのであれば、11万円なんて安いものではないか。
明日から、いい男がうじゃうじゃ私に言い寄ってくるのかもしれない。

いや、待てよ。

しかし、なんといっても遠隔操作である。
実際にお祓いをやってくれたという証拠ってあるだろうか?
しかも、遠隔操作なんてことできるのか?
霊ではないけど、私に付いている霊みたいなものって一体どんな物質?
そもそも、お祓いをやらないと、その日に結婚できないなんて、
前提条件がつくなんて、おかしくないか???

懐疑的に質問を繰り出す私に、この占い師は言い放った。

「あなたは、頭から私の言うことを信じていない。
 あなたのような何も信じない人には何を言っても無駄だ。」

そう言って彼は電話を切ってしまった。
そういう決めつけた言い方をされて、
頭にきた私は彼の手紙を破り捨ててしまった。

あれから、10年の月日が過ぎた今も独身のままの私である。

以前は年頃で結婚していく友達がとても羨ましかった。
でも、もしも私が20代で結婚していたら、
30代で経験したようなことは何も経験できなかったに違いない。
それに、今だって毎日ワクワクしながら大好きな会社で働いている。
今まで独身でいたからこそ、こういうご縁に恵まれているのである。

Heaven or Hell...
Sometimes you just can't tell.
So we keep on walking.
('Heaven or Hell' by the Stranglers)

天国なのか地獄なのか、時々わからなくなる。
だから僕たちは歩き続ける。
(ストラングラーズ Heaven or Hell より歌詞一部抜粋。)

(おしまい)

2008年1月8日火曜日

Heaven or Hell? (その1)


確かあれは、今から10年ほど前のある日のこと。
ぱらぱら雑誌をめくっていたら、ある広告が目にはいった。

「占い-貴女の結婚年月日をお教えします。鑑定料、今なら特別に5000円」

結婚する日付がわかるなんて、なんて具体的な占いだろうか。
ちょうど失恋直後だった私は、日付がわかればその日を信じて頑張れるに違いない、
そう考えて、さっそく、生年月日などを紙に書き、
鑑定料の5000円を同封して占い師のもとに送った。

それからしばらくして、占い師から私の結婚の日付と運勢の鑑定が届いた。
鑑定によると、その時から約2年後の12月に私は結婚することになっていた。
その時、男性の影など少しも見当たらなかったが、
2年もあればきっと運命の男性とめぐりあい、
そして結婚することになるに違いない。
なんだかほっとし嬉しくなった。

しかし、その後、課外活動(仕事後の文化的活動?)が忙しくなり
すっかり占いのことは忘れてしまった。
鑑定から1年半以上も経った或る日のこと、例の占い師からまた手紙が届いた。
手紙にはこう書いてあった。

「貴女の結婚予定日まであと3か月に迫りました。(略)
 このことに関し、あなたにお伝えしたい重要なことがありますので、
 お電話ください。」

そう言われると、異常に気になる。
重要なことって何だろう?
しばらく考えた末、私はこの占い師に電話することにした。
(続く)

2008年1月5日土曜日

愛とは



Gとはいろいろな映画を観た。
商業主義のハリウッド映画を嫌うGが選ぶのは、ヨーロッパや、アジア、中東の映画など、およそアメリカ人や日本人があまり見ないと思われる映画であった。
ハリウッド映画を一本作るのにかかるお金で、これらの映画が何本作れるだろうかと思うくらい、ほとんどお金がかかっていない。
しかし、そこには素晴らしい人間ドラマがあった。
Gはこういった映画をインターネット上で探してくるのである。

ある日、フランス映画、Le Hussard sur le troit (1995)を観た。
英語のタイトルは、Horseman on the roof だが、邦題は知らない。

物語はフランスで繰り広げられる。時代は18世紀か17世紀くらいだろうか。
イタリア人の貴族、アンジェロは新しい政権によって
イタリアを追われフランスに逃亡している。
逃亡先のフランスでもイタリアからの暗殺者から追われて町から町へと
逃げまわる毎日。
或る嵐の夜、偶然知り合ったフランスの貴族婦人ポーリーンに宿を提供される。
そして、イタリアに帰国したいと願うアンジェロと、フランス南部に行っている夫に
会いに行くというポーリーンは一緒に旅を始める。

その当時、フランスには疫病が蔓延し、多くの死者がでていた。
疫病の為、水を飲むのも危険。食べ物も不足していた。
疫病から端を発して、フランスはまさに混乱の真っ最中だった。
そんな危険がいっぱいの旅の間、アンジェロはいつも彼女のそばに仕えて
ポーリーンを、まるで家来であるかのように守るのであった。

ある夜、ポーリーンが急に疫病に感染する。
普通に話していたと思ったら、急に顔に死相がでて倒れるのである。
アンジェロは彼女を急いで暖かい暖炉の前に運び
彼女の衣服を脱がせて、必死で体をさする。
アンジェロの必死の看護のおかげで、彼女は奇跡的に持ち直すのである。

こうして、二人は旅を続ける。
ここで映画は終わるが、その後の二人の運命を字幕が伝える。
最後に彼女は念願の夫の伯爵に会えるが、彼は妻を離縁する。
その後、彼女はアンジェロと一緒になるのである。

ストーリーはこんな感じである。
一緒に旅をしていても、二人は安易に恋に落ちたりしない。
二人は節度のある距離を取っている。
すぐにベッドインするような、安易なラブストーリーが流行っている昨今であるが、
二人を見るていると、相手に対する尊敬の念や相手を大切に想う気持ちが
感じられ素晴らしいと思った。
人を愛するとは、こういうことなんだと思った。

また、ポーリーン役のジュリエット・ビノシュの気品ある美しさ、
アンジェロ役のオリビエ・マルティネスのハンサムさには感嘆した。

「ねえ、アンジェロは最初からポーリーンのこと愛していたのかな。」と、私。

「ああ、間違いないね。」と、G。

「伯爵はポーリーンが苦労して会いに行ったのに、離縁するなんてひどくない?」

「きっと伯爵は彼女を愛していたんだろうな。
 彼女がアンジェロを愛しているのを察して離縁したんだ。
 そのおかげで、ポーリーンはアンジェロと一緒になれたんだから。」

「もしも、私がポーリーンみたいに病気になったら、あんなふうに看病してくれる?」

「いやだね。」と、即答するG。

「私の彼は、私があんなふうになっても、何もしてくれないんだって!」と、ふくれる私に、Gは笑いながら言った。

「勿論、冗談だよ。看病するに決まっているだろ。
でも願わくば、あんな状況には陥りたくないもんだね。」

2008年1月3日木曜日

Bear Cage (熊の檻)



最近、YouTubeにはまっている。
昔見た80年代のミュージックビデオが何でも見られるからである。
私が大好きなThe StranglersのビデオもYouTube上なら、大概、何でも揃っている。
その中で、とりわけ私が好きなビデオがある。

タイトルはBear Cage、直訳すると、熊の檻である。
なんとも皮肉なタイトルと歌詞。
それをうまく映像化したビデオだと思う。
この曲の歌詞を読んだとき、若かった私は
人生の真実の一端を垣間見たような気がした。

ビデオ(↓)



Bear Cage by The Stranglers
 (歌詞訳:私=Saint-Ex)

俺は懸命に働いている。
点を稼いでいるのさ。
俺がサメと泳ぐ様を見なよ。
新しい人種と新しい競争方法。
恥辱的な人生を送ってるのが恥ずかしくなる。

畜生、俺は熊の檻の中で生きている。
そうさ、俺は檻の中で生きているんだ。

奴らは決して真実を語らなかった。
俺は若さを失った若者さ。
車でも、肉でも何でも売るさ。
王様のように暮らすために金を貯めているんだ。

畜生、俺は熊の檻の中で生きている。
そうさ、俺は檻の中で生きているんだ。

熊の檻
熊の檻の中で

ブリュッセルとアムステルダムはとっときなよ。
俺にドレスデンでの夏は返してくれ。
でも奴らは平和警察とやらをそこに配置して
地図の上に線を引いて俺の居場所をわからせようとしているんだ。

畜生、俺は熊の檻の中で生きている。
そうさ、俺は檻の中で生きているんだ。

熊の檻
熊の檻の中で

2008年1月2日水曜日

クラブ・ワールドカップ2007



少し前のことになるが、去年の12月中旬に
テレビでサッカーのクラブ・ワールドカップの決勝戦を観た。

かのマラドーナがかつて在籍したアルゼンチンのボカ・ジュニアーズとイタリアのACミランの対戦である。
自称、前世ではイタリア人だった私はもちろんACミランを応援していた。

試合は1-1までは均衡した戦いだったが、その後ACミランのペースで進んだ。
カカ、インザーギ、ピルロなどACミランは素晴らしい選手を擁していた。
また、周りの期待と評判通り、彼らは大活躍しACミランを勝利へと導いた。

そんな中、私は或る選手に注目していた。
マルコ・マルディーニである。
彼は確か1986年のワールドカップからイタリア代表として活躍した選手である。
年齢は私と同年代である。
1982年の大会からワールドカップを観て来た私にとって
ワールドカップとは、夢であり、愛であり、人生の一部である。
そして、なぜか私はイタリアチームをずっと応援してきた。
マルディーニを見ていると、私自身が辿ってきた青春を見るような気がするのである。
彼と一緒に戦ってきたようなものである、といえば大袈裟だろうか?

マルディーニはこの試合を最後に引退した。
彼はこのクラブ世界ナンバー1 のタイトルを最後に手にしたかったのだそうだ。
勝利を喜ぶ彼の嬉しそうな顔を見ているうちに
ふと私の頬を涙が伝って落ちた。
ありがとう、マルディーニ。
そして、長い間お疲れ様でした。
そんな言葉が心の中に浮かんで消えた。

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ところで、試合を観ていて驚いたことがある。
それは、2ゴールを決めたインザーギ選手が、Gにそっくりだったことである。
インザーギ選手のことは以前から知っているのに
今までGに似ていることに気がつかなかったのだ。
試合後、本人にこのことを話すと、「そう?」と特に反応はなかった。

MVPはACミランのブラジル人選手、カカの手に渡った。
私的には、2ゴールを決めたインザーギにMVPをあげて欲しかった。
やはり、彼がGに似ているからだろうか?

翌日、会社でサッカー大好きのKさんと、この話題で盛り上がった。
お互い、家で一人でテレビの前で応援したのである。
「もう、叫びすぎて声が枯れちゃったよ。」と、Kさん。
今度、国際大会がある時はスポーツバーでKさんと一緒に試合を観戦しようかなと思った次第で。。。